「くらしの窓」連載【日本民家園を行く】
【日本民家園を行く】第9回・旧野原家住宅
日本民家園3軒目の合掌造住宅は、富山県五箇山の上平集落から移築された旧野原家。ボロボロになって解体される途中だったものを「壊してしまうくらいなら」と同民家園が買い取って移築したものだという。18世紀後半に建てられたとみられ、幅10・6メートル、奥行17・5メートル、面積約153平方メートル。神奈川県の重要文化財に指定されている。
旧野原家は前回紹介した旧山田家のすぐ隣に建っている。同民家園職員の安田徹也さんが「2階の窓のところを見てください」と建物を指さした。見れば窓の下に平らに板がわたしてある。この窓は出入口を兼ねるのだそうだ。五箇山は豪雪地帯のため、2階まで雪が積もった時には窓から出入りせざるを得ない。そのとき人が出入りしやすいようにするための踏み板だという。
中に入ってみると土間のウマヤ(馬をつないだ場所)部分に木を組んで作った大きな物体が吊り下げられている。渡し籠といい、かつては川筋の谷にこの籠がかかっていた。これに人が乗って縄を引いて谷を渡る、いわば人力ロープウェイだ。明治の初めころまでは谷を渡る交通手段はこれしかなかったといい、その様子を描いた絵も展示されているが、実物を見て想像するだけでも恐ろしい。ちょっとでもバランスを崩したらすぐ落下してしまいそうなくらい頼りない作りなのだ。先程の窓といいこの渡し籠といい、五箇山という場所がいかに自然条件の厳しい場所であったかがうかがえる。合掌造とは、このような場所で発展した建築様式であった。
建物に目を向けてみよう。柱が全般的に太く大きいのは、比較的新しい時代の建築であるためという。オエと呼ばれる板の間は囲炉裏が2つある広い部屋。ほかの合掌造の古民家では真ん中に壁やふすまがあって2部屋に分かれているところだが、それがぶち抜きの1部屋になっているということは、それだけ柱の数が少なくなるということになる。柱が少ない分建物の強度は弱くなるはずだが、柱が太いため強度を落とすことがない。建築技術の発達が間取りにも現れているのである。合掌造に特徴的なチョウナバリと呼ばれる曲がった梁も迫力があり、旧野原家の見どころのひとつになっている。
特別に2階に上がらせてもらうと、屋根の柱が組まれている様子などがよく分かる。釘は一本も使われず荒縄で縛って組み上げてあるが、本来はネソと呼ばれるマンサクのツタが使われていた。また、縦横に組んだ柱に斜めの筋交いが見られるが、これも強度を増すためのもので合掌造特有の作りだという。「研究者によっては、この筋交いがあるかどうかで合掌造を定義する人もいるくらいです」(安田さん)。
(「くらしの窓」2007年3月11日号掲載)
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