連載【日本民家園を行く】
第28回来なかった古民家（2）〈最終回〉
日本民家園に移築を持ちかけられながら実現しなかった古民家がある4つの自治体では、いずれも現在では移築の話があったことすら忘れられていた。40年以上も前の話であるから仕方がないのかもしれないが、寂しい話ではある。
町田市野津田の薬師池公園に移築保存されている旧荻野家住宅は、19世紀中ごろの幕末期に現在の町田市三輪町に建てられた農村の医者の住宅で、東京都の有形文化財に指定されている。荻野家は笠間藩の医家の出自で、この地で医者を開業していたという。
表玄関に入ると土間がとても狭い。土間に直結する囲炉裏のある板の間もなく、いきなり畳の部屋に上がるようになっている。建物の裏手に回って勝手口から中に入るとこちらにも土間があり、板の間と囲炉裏があるが、こちらもたいして広くない。農作業の必要がないから、広い土間は必要なかったのだろう。薬棚を備えたチョウゴウザシキ（調合座敷）といういかにも医者の住宅らしい部屋があるなど、農家中心の日本民家園の古民家群とは異なる趣の建物だ。
残念なことに、旧荻野家の保存状態は良いとはいいがたい。中に入ると囲炉裏で火を炊いた痕跡が認められるなど、最低限の管理はされている様子だが、中は真っ暗で電球ひとつなく、土間に入るのもためらわれるような状態で、ただ放置されているだけのようにしか見えない。薬師池公園にはもう1軒、旧永井家という国指定重要文化財の古民家がある。こちらは農家建築で囲炉裏の間が竹すのこになっているなど、日本民家園の旧伊藤家住宅に近い造りのように思われるが、床板に砂がたまり、保存状態は旧荻野家よりも悪いように感じられた。
鎌倉市玉縄地区の龍宝寺の境内に移築保存されている旧石井家は、江戸時代初期、17世紀後半に建てられたとみられる農家建築で、石井家は帰農した地侍の家柄だった。神奈川県の古民家に広くみられる四方下屋造りという様式で建てられている。現在、国指定重要文化財。
旧石井家は、日本民家園の設立に大きく関わった大岡實博士の鑑定でその価値が分かった。大岡博士は住宅の民家園への移築を希望し、石井家の人たちも「住職の許可さえ下りれば」と移築に前向きだったが、当時の團野弘之住職が強く希望して同寺の境内に移築されることになった。古民家が価値のないものとして次々と壊されていた当時にあって、團野住職は大変な見識の持ち主だったのだろう。現在の梅田良光住職は「川崎への移築の話は聞いたことがありませんでしたが、先代は『地域のものは地域に残すべきだ』とよく言っていました」と振り返る。
昨年、旧石井家は屋根の葺き替えと壁の修復を行って見違えるほどきれいになったが、国、神奈川県、鎌倉市、龍宝寺の4者で管理しているため申請の手続きなどで完了まで足掛け2年もかかった。「日当りも悪くて傷みやすいし、管理は大変。民家園さんのようにはいかないですね」（梅田住職）。
現在、旧石井家住宅は民俗資料館と合わせて「玉縄ふるさと館」としてリニューアルし、地域住民の手で活用していこうという動きが進んでいる。こうした動きは歓迎すべきことだろう。日本民家園の体制やボランティアグループ「炉端の会」の活動なども、きっと参考になるに違いない。
旧石井家をめぐる人々の活動が成功することを願うとともに、日本民家園のような施設があるということが川崎市民にとって、そしてまた古民家にとっても、どんなに幸せなことかを改めて実感したのだった。
(「くらしの窓」2011年1月1日号掲載)
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