「くらしの窓」連載【日本民家園を行く】
【日本民家園を行く】第27回・来なかった古民家(1)
1967年の日本民家園の開園にあたって、初代園長の故古江亮仁さんは日本各地の古民家を訪ね歩いては同園に移築できないか打診をしていた。だが、様々な事情によって移築する予定が実現しなかった古民家がいくつかあった。古江さんの著書『日本民家園物語』によれば、それは港北区(現都筑区)の関家、富山県南砺市の羽馬家、そして鎌倉市の旧石井家などだった。また同園職員の安田徹也さんによれば、町田市の薬師池公園にある旧荻野家も同園に移築する予定があったという。
このうち関家と羽馬家に関しては現在でもそれぞれの家の人が住んでおり、「旧」関家、「旧」羽馬家と書くのは誤りである。
都筑区勝田町の関家は17世紀前半に現在の主屋が、18世紀前半には現在の書院が建てられたと見られ、関東地方でも最古級の貴重な古民家だ。関家は村名主を務めていた旧家で、現在では住宅だけでなく周囲の山林なども含めて国の重要文化財に指定されている。
南砺市の羽馬家は「合掌造りの里」として知られる五箇山の合掌造り古民家だ。南砺市にはもう1軒羽馬家という合掌造りの古民家があり、そちらは国の重要文化財に指定されているが、こちらは富山県指定重要文化財。19世紀はじめごろに建てられたと見られている。当時としては非常に豪華な造作を施したため藩の禁令に引っかかり、そういう部分を削り取ったり切り落としたり、あるいは覆いで隠してお目こぼしをもらったそうで、現在もその後が残っているのだという。羽馬家は当初は同園への移築に前向きだったというが、最終的に「この場所でユースホステルとして家を残したい」と移築を断った。その言葉通り1969年からユースホステルを経営して長く親しまれていたが、現在では営業していない。
また、古江さんは非常に残念な例として平塚市にあった旧石黒家のエピソードをあげている。1966年8月、古江さんが平塚に調査に赴いた際、「2カ月ほど前に家の近所の古民家を壊したら『正保三年』と書かれた棟札が出てきた」という話を聞いたのだ。正保3年といえば西暦1646年にあたる。建築年がはっきり分かっているものとしては日本でも3番目の古さであり、本来ならばきわめて貴重な文化財だった。しかし時すでに遅く、家を壊した後の古材もパルプ工場に売り払われた後で、残ったのは年代の書かれた棟札一枚だけだった。
(「くらしの窓」2010年11月14日号掲載)
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