「くらしの窓」連載【日本民家園を行く】
【日本民家園を行く】第15回・旧北村家住宅
日本民家園の古民家の中で、宿場、信越の村、関東の村と分類されたエリアを過ぎると「神奈川の村」エリアに入る。その1軒目が、秦野市から移築された旧北村家だ。名主の家柄の農家だったといい、幅15・6メートル、奥行8・9メートルで、面積約138・8平方メートル。国指定重要文化財。同園職員の安田徹也さんに案内してもらった。
この北村家の最大の特徴は、建築年代がはっきりと特定できること、そしてそれがとても古いことだ。移築の際にいったん解体したところ、一部の部材の普段見ることが出来ない場所に「貞享4(1687)年、理兵衛と源兵衛がこの家を建てた」という意味の文章が書かれていたのである。これは現在、現存していて建築年代がはっきり分かる家としては東日本で2番目に古いのだという。家を解体する時でなければ見ることが出来ない場所に建築年代と建てた大工の名を記すのは、何十年も、何百年も経ってから家を壊すことになった人に「どうだ、この家は俺たちが建てたんだぞ」と示しているということであり、理兵衛たちにとってこの家が相当の自信作だったことをうかがわせる。
中に入ると、土間に隣接する広間が板の間ではなく竹すのこになっているのがまず目に付く。竹を切って並べて縛るだけの竹すのこは板の間に比べると作るのがはるかに簡単で、素人でも作ることが出来る。当時はこれが当たり前だったのだという。
さて、旧北村家には建築年代からするとずいぶん先進的な造りになっている個所がいくつもある。まず縁側。寺社や武家建築なら珍しくないかもしれないが、この年代の農家としては、縁側があるというのはとても珍しい。古い時代の民家は閉鎖的で中が薄暗いのが特徴だが、縁側のおかげで非常に開放的に感じる。また奥の座敷に押し入れがあるのも、この時代の民家としては非常に珍しいのだという。こうした先進性が何に由来するのかは、残念ながらはっきりとは分からない。おかげで建築年代が確定しているにも関わらず、この時代の典型的な民家とは言い難いのだそうだ。
そういった違いは、後世の改築で出来たものではないのだろうか。「いえ、旧北村家は移築されるまでほとんど改築が行われず、建築当初の部材が非常によく残っているんです」と安田さん。たとえば前述の竹すのこも、移築前にはさすがに板の間に改造されていた。だがもとの部材に明らかに竹を差し込むための穴が開けられていたために、本来は竹すのこだったと分かったのである。押し入れや縁側も同様で、もとの部材を見ていけば、確かに建築当初からこれらがあったことが分かるという。
江戸時代に建てられた民家がほとんど改造されないまま昭和、それも戦後まで人が住んでいたということは、それだけ暮らしやすかった、家の完成度が高かったということを示している。「実際、園では何か行事がある時には必ず旧北村家を使います。使い勝手がいいからです」(安田さん)。
理兵衛と源兵衛の自信は正しかったわけである。
(「くらしの窓」2008年7月27日号掲載)
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