「くらしの窓」連載【日本民家園を行く】
【日本民家園を行く】第14回・旧太田家住宅
民家園40年の歴史の中で最大の事件は、旧太田家の火災事件だろう。
旧太田家は茨城県笠間市から移築された建物で、国の重要文化財に指定されている。幅19・3メートル、奥行8・3メートル、平面積161・5平方メートル。旧作田家住宅と同様の分棟式と呼ばれる、1軒の建物なのに屋根が2軒のように分かれている様式だ。母屋部分は17世紀後半、土間部分は18世紀後半に建てられた。土間部分だけ新しいのは建て替えをしたためと見られる。代々名主の家柄と伝えられ、明治初期には村長も務めていた。
事件が起こったのは1990年7月29日。当時も今も民家園は貴重な古民家を守るため火気厳禁だが、当時園外にはそのような規則はなかったため、同園の敷地のすぐそば、旧太田家を見下ろす見晴らし台で花火遊びをする不届き者がいたのである。やがて午後7時40分ごろ、一発のロケット花火が園内に飛び込んで旧太田家の屋根に突き刺さり、ボヤとなった。
火はすぐに消し止められ関係者は胸をなで下ろしたが、これがいけなかった。表面上水をかけて火が消えたように見えても、火種は茅葺き屋根の中に残ってくすぶり続けていたからだ。午後8時30分、火災警報器が鳴った時には、再発火した火はすでに大きく燃え上がっていた。「後で地域の古老に聞いたところ、『茅葺き屋根の家で火事になったらとにかく屋根を全部はがせ』という知識が伝わっていたそうです。しかし当時の園ではそこまでの知識がなかったのです」(同園職員・安田徹也さん)。5分後、多摩消防署から消防車がかけつけ本格消火が始まったが、母屋の部分は半焼してしまった。
「半焼」といっても、事件の直後に撮影された焼け跡の写真は衝撃的だ。黒焦げになった柱が立ち並び、見た目はほとんど全焼と変わらないように思える。しかし、ともかくも母屋の半分と土間部分は焼けずに残った。安田さんは「木造古民家が火事になって半焼ですんだのは、消防署がいかに素早く手際よく消火活動をしてくれたかということです」と称賛する。
焼失したからには復元しなければいけない。焼け残った柱などは建材として使えるだけの強度も残っていたが、黒焦げになってとてもそのまま使う訳にはいかず、多くの部分は新しい建材で復元された。復旧工事が終わったのは2年後。損傷した部材は今も収蔵庫に保存されている。
だが全ての部材が取り換えられた訳ではなく、今でも何本かの柱は黒焦げになったまま使われている。炭化した部分がボソボソと落ちないように特殊な加工で固められているが、その姿は痛々しい。中には片方の面が焼け焦げ、反対側は無傷の柱もある。
現在旧太田家は民具製作などを行う民技会の活動拠点になっている。
(「くらしの窓」2008年4月13日号掲載)
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