川崎市麻生区の地域情報紙「メディ・あさお」です
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メディ・あさお200号(2018年7月25日発行)

【特集】メディ・あさお創刊200号 計画だけで終わった幻の「相武電鉄」柿生駅

メディ発行の18年の間、麻生区が最も大きく変わったのは万福寺とはるひ野の開発でしょう。
しかし、「くらしの窓」よりもさらに古い時代に歴史の歯車がちょっと変わっていたら、麻生区の姿は今とは全然違うものになっていたかもしれません。

今から約90年前、大正の終わりから昭和の初めにかけて、現在の相模原市上溝地区を中心にして、東京から県中央部まで鉄道を引くことを構想した「相武電気鉄道」という鉄道会社がありました。
現相模原市内の田名(後に久所)から上溝、淵野辺を経て、一足早く開通していた小田原急行電気鉄道(現小田急電鉄)と鶴川駅で乗り換え・交差し、鶴見川沿いに当時の柿生村を通って南下。中里(現横浜市青葉区)で大きくカーブして、現在の東急田園都市線と似たルートを通って溝口まで続く路線の鉄道敷設認可を受けていました。
敷設予定地では測量が実際に行われ、それをもとにした路線図が作られています。しかし1927(昭和2)年に起きた金融恐慌の影響を受けて資金繰りに行き詰まり、相模原市内のわずかな区間で工事が行われただけで、1938年に破産しました。
この淵野辺〜溝口間の当初の計画では、柿生にも駅が作られる予定でした。計画途中で予定の駅数が減り、その時に柿生駅も路線図から姿を消してしまうのですが、最近、上溝の旧家で見つかった相武電鉄の新たな史料によると、現在の下麻生3丁目、恩廻橋のある辺りがその場所になります。
相武電鉄が消滅した後も、鶴川〜上溝間に鉄道を建設する計画は何度か浮かんでは消えています。1958年には、小田急が鶴川から上溝を経て城山に至る「小田急城山線」を計画しますが、実現に至りませんでした。
相武電鉄が、あるいは小田急城山線が実現していたら、現在の小田急多摩線(1974年開業)も鶴川駅が発着駅になり、したがって新百合ケ丘駅も建設されず、麻生区はまったく異なった歴史を歩んでいたことでしょう。
現在、横浜市営地下鉄の新百合ケ丘への延伸が検討され、小田急多摩線の上溝への延伸も検討されています。両方とも実現したら、鶴川駅と新百合ケ丘駅の違いはあるとはいえ、相武電鉄の路線とちょっと似た感じになりますね!

(2018年7月25日号掲載)

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