「メディ・あさお」掲載記事

【あさおライブラリ14】一輪の花から始まった王禅寺の「しょうぶ園」

 「旧王禅寺村の日吉地区は、丘陵の自然がいきづいている数少ない土地である。入り組んだ丘陵の狭い谷戸を取り囲むように竹林が残り、休耕田をいかして“花の園”が育てられてきた」〈「くらしの窓」756号/1989(平成元)年4月25日発行より〉

日吉交差点のすぐ西側で、植木職人の水野英雄さんが経営していた「水野しょうぶ園」。最盛期には約90種、1万株以上のハナショウブが咲き誇りました。
1958(昭和33)年9月の狩野川台風により自宅も田も墓も、お姉さんも失った水野さん。お父さんを太平洋戦争で亡くしていたため、伯父さんの知恵を借りながらも16歳の若さで当主として家を新築。そのための瓦を高津区北見方まで調達に行き、たまたま目にしたのが一輪のハナショウブでした。自宅近辺では見かけないその美しさに心ひかれ、株を譲ってもらったのが始まりです。「昼間から花の世話なんて、と笑われる時代でしたが、畑で増やし、田んぼに植え替えると、力強い花が咲きました。素朴さに次第にのめりこみ、珍しい品種を県外にまで求めるようになったところに国の減反政策も重なり、棚田を有料のしょうぶ園に変えていったのです」
1カ月弱の開花のために、農薬も機械も使わず、素手素足で冷たい泥に浸かりながら一年中草取り。周辺の宅地開発で汚水が流れるようになれば、80メートルもの井戸を掘りきれいな水を流すなどしましたが、後継者不在そして自身と家族の体力の衰えを機に、1995(平成7)年で閉園しました。
「ほかの園にはない、末広がりの谷戸の地形。その水面に鏡のように花模様が写る、最高の状態を家族の協力だけでやりきったというのが誇り。たくさんの人との出会いも宝物です」
谷戸は現在もその面影をとどめています。

(2018年5月25日号掲載)

【「くらしの窓」とは】
新聞販売店・赤本新聞舗(現・あかもと本舗)創業者の赤本良造が、1955年に購読者サービスの新聞折込として創刊。高度経済成長期の地域の変貌ぶりなど、全国版の新聞では紹介しきれない情報を読者に伝え、地域情報紙のさきがけとなりました。その後、関連会社のくらしの窓新聞社(現・メディスタくらしの窓新聞社)に引き継がれ、2011年まで56年間、1397号を発行。本紙「メディ・あさお」は「くらしの窓 麻生区版」として2001年10月に創刊されました。現在の社長・赤本昌応は三代目にあたります。



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