「メディ・あさお」掲載記事

【特集】麻生区の今と昔を紹介「あさおライブラリ」
2.最初は「百合ケ丘駅」からでした 半世紀の迷走「川崎地下鉄」

川崎地下鉄こと「川崎縦貫高速鉄道」の話題が「くらしの窓」に初めて登場したのは1967(昭和42)年1月1日の141号。前年7月に出された「都市交通審議会答申第9号」を受けたものでした。予定区間は百合ケ丘駅から川崎区の大師河原まで。当時は新百合ケ丘駅が存在せず、百合ケ丘駅が発着駅の予定だったのですね。
地下鉄はその後、麻生区の発着駅を新百合ケ丘駅に変更、小田急多摩線との相互直通計画、川崎区方面の路線の短縮、工事の2段階化など迷走に迷走を続け、川崎市の予算会計は2012年度に廃止。2015年に計画休止が発表され、来年3月には現行の「市総合都市交通計画」の見直しによって計画そのものが廃止される予定です。
現在、横浜市では横浜市営地下鉄のあざみ野駅から新百合ケ丘駅に至る延伸計画を進めており、2018年度末までに事業化の判断を行う予定。川崎市ではこれを代替手段と位置づけています。

【情報をお寄せください】
「あさおライブラリ」は、地域情報紙「くらしの窓」の記事をピックアップし、麻生の今と昔をご紹介する連載です。現在、次の項目について調査中ですが、未だ詳しい情報にたどり着けておりません。読者のみなさまのご協力をお願い申し上げます。
◇「黄色い小母さん」
1962年に市費で市内35カ所に設置。麻生区内では世田谷町田線の交差点2カ所に設置されました。
◇「高石湖」
百合ケ丘駅から東へ約600メートルの線路沿い。1976年に高石団地の住民が保全運動を起こしました。
◇「スバル子どもの家」
小学校長を務めた谷博次さんが1970年代に王禅寺の自宅を開放。教育相談やセミナーも開催。
◇「黄色い小母さん」
1962年に市費で市内35カ所に設置。麻生区内では世田谷町田線の交差点2カ所に設置されました。
◇「高石湖」
百合ケ丘駅から東へ約600メートルの線路沿い。1976年に高石団地の住民が保全運動を起こしました。
◇「スバル子どもの家」
小学校長を務めた谷博次さんが1970年代に王禅寺の自宅を開放。教育相談やセミナーも開催。

(2017年7月25日号掲載)

【「くらしの窓」とは】
新聞販売店・赤本新聞舗(現・あかもと本舗)創業者の赤本良造が、1955年に購読者サービスの新聞折込として創刊。高度経済成長期の地域の変貌ぶりなど、全国版の新聞では紹介しきれない情報を読者に伝え、地域情報紙のさきがけとなりました。その後、関連会社のくらしの窓新聞社(現・メディスタくらしの窓新聞社)に引き継がれ、2011年まで56年間、1397号を発行。本紙「メディ・あさお」は「くらしの窓 麻生区版」として2001年10月に創刊されました。現在の社長・赤本昌応は三代目にあたります。



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