「メディ・あさお」掲載記事

【あさおライブラリ4】弘法大師が植えた松 今にとどめるその名残

「旧臘高石名所の弘法の松が火難にあつた。周囲二丈余、樹齢千数百年といわれる巨松は根本に大きな空洞を造つていたが、これが内部から一晩中燃えくすぶつていた。(中略)何とか余命を保つ工夫はないものだろうか」〈「くらしの窓」22号/1957(昭和32)年1月27日発行より〉

百合丘の交差点名などで耳にする「弘法松」は、弘法大師が植えたとされる、高さ30b、根周り11b余りの黒松でした。1956年12月19・20日の火難の原因はたき火の不始末と言われています。1960年3月の「くらしの窓」には、延命策で上部が切られたという記事、1961年7月には「今のうちなら地上2bだけでも保存できる」とさらに切られることになったという記事が見られ、地域の人々が保存に苦心したことがうかがえます。
松はその後枯死し撤去されましたが、川崎青葉幼稚園の井上久園長によると、今から100年以上前、曾祖父の栄吉さんが周辺の草刈りをした際、3本の小松が芽生えていたので「実子」として残したという話も。市も弘法松公園内に1962年に2代目を植え、枯れても植えつづけ、今では何代目か分からないほどだそうです。(2017年4月25日号掲載)

【「くらしの窓」とは】
新聞販売店・赤本新聞舗(現・あかもと本舗)創業者の赤本良造が、1955年に購読者サービスの新聞折込として創刊。高度経済成長期の地域の変貌ぶりなど、全国版の新聞では紹介しきれない情報を読者に伝え、地域情報紙のさきがけとなりました。その後、関連会社のくらしの窓新聞社(現・メディスタくらしの窓新聞社)に引き継がれ、2011年まで56年間、1397号を発行。本紙「メディ・あさお」は「くらしの窓 麻生区版」として2001年10月に創刊されました。現在の社長・赤本昌応は三代目にあたります。



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