「メディ・あさお」掲載記事

【あさおライブラリ2】幻だったかも!?「新百合ケ丘駅」誕生と小田急多摩線

「小田急多摩新線計画は、百合ヶ丘駅より出発し、多摩ニュータウンの多摩中央駅までの九・一キロ。その間に新駅が六個所に設置…」〈「くらしの窓」163号/1968(昭和43)年11月1日発行より〉

東京の深刻な住宅難により1963年に多摩地域の都市計画が決定し、小田急は都心とを結ぶ新線を計画。喜多見駅を起点に狛江、稲城を通るルートを検討するものの、地元の反対運動により断念しました。当時、狛江に拠点を置いていた「くらしの窓」はこの運動の詳細を随時報道しています。計画はその後、百合ケ丘駅を起点とするルートに変更されました。
それまでの百合ケ丘─柿生間の線路は湾曲し、今の世田谷町田線にほぼ沿う形でした。それを地図のように直線に付け替え、万福寺付近に合岐点となる新駅=新百合ケ丘駅をつくることに。「五力田」「多摩中央」の仮称駅名を「五月台」「多摩センター」に変え、1974年6月1日に新百合ケ丘─小田急永山間が開業。現在は唐木田駅からJR相模線上溝駅までの延伸が検討されています。
(2016年11月25日号掲載)

【「くらしの窓」とは】
新聞販売店・赤本新聞舗(現・あかもと本舗)創業者の赤本良造が、1955年に購読者サービスの新聞折込として創刊。高度経済成長期の地域の変貌ぶりなど、全国版の新聞では紹介しきれない情報を読者に伝え、地域情報紙のさきがけとなりました。その後、関連会社のくらしの窓新聞社(現・メディスタくらしの窓新聞社)に引き継がれ、2011年まで56年間、1397号を発行。本紙「メディ・あさお」は「くらしの窓 麻生区版」として2001年10月に創刊されました。現在の社長・赤本昌応は三代目にあたります。



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